映画監督として活躍され、俳優としてもご活躍されている榊英雄(さかき ひでお)監督ですが…
榊監督の“生い立ちが変わっている”という一部でウワサされているそうなんです。
というのも、
上京してから、数十年も地元に帰れなかったなどと話されていたそうで、
これだけじゃ…どういう意味なのかさっぱりわかりません。
また、
俳優から映画監督になられたのも、どうやら不純な理由があると囁かれています。
どちらも意味がわからなかったので、徹底的にリサーチさせていただきました!
このブログを最後まで読んでもらうと、
- 榊英雄の生い立ちが変わってて気持ち悪い?
- 榊英雄が映画監督になった理由が不純?
コチラの2つについてわかります。
では早速、進めさせていただきますね!
榊英雄の生い立ちが変わってて気持ち悪い?
榊監督の生い立ちが変わっているというのは、
一体どういう意味なんでしょうか!?
調べてみると、
榊監督が、生まれ育った故郷について語られている記事を見つけたので、まとめさせていただきました。
榊英雄の生まれ育った故郷はどこ?
榊監督の生まれ育った故郷は、長崎県五島列島の福江島(ふくえじま)だそうです。
高校までは地元の学校に通われたそうで、
大学で島を離れ、上京されたとのことです。
その後榊監督は、10年以上も地元には帰らなかったそうなんです。
そんな何十年も実家に帰らないって…
やっぱり訳ありっぽいですよね。
一体、榊さんは生まれ育った地元でなにがあったのでしょうか!?
榊英雄が故郷を避けたのはなぜ?
榊監督はご自身がうまれ育った故郷について、このように語られています。
憎らしくもあり、愛すべき島だけど、どっか距離を置いていました。
ある程度自分の中で、独立独歩でできてないっていう思いがある限り、帰らない。
中途半端で帰るのは恥ずかしくて嫌だった。
引用元:ritokei
“憎らしくもあり愛すべき島“という表現がなんとも気になりますね〜。
榊監督がこのように表現したのは、
若い頃、生まれ育った“島”が嫌いだったからのようです。
というより、正しくは…
“島の住民達”が嫌いだったようです!
僕がちっちゃい頃から見ていたような、濃厚な人間関係と、見えないところの男と女のエログロ。
旦那が死んで四十九日も済まないうちから間男を連れ込むオバちゃんたち。
「人間、所詮男も女も変わらんっちゃねー」みたいな。
「人間やっぱり飯を食って、糞して◯ックスしてんのが普通よ」っていうベースが、漫画に強烈に描かれてるんです。
引用元:ritokei
−それは幼い頃から目にしてきた人々の姿でもあったと。
なんだかドロドロな感じが伝わってくる、嫌な内容でしたね…
たしかに、子どもの頃にこのような人間模様を見せられると…
実家に帰りたくもなくなりますよね。
また、榊監督は若い頃、両親ともあまりうまくいっていなかったようですが、
俳優業、映画監督が軌道にのり、
橘いずみさんと結婚をして娘が生まれたことで、五島に帰る余裕ができ、
ご両親のありがたみについても知ったそうです。
「人間を見つめてみたい」そんな作品のときは五島で撮りたい。
人間とはこういうものじゃないかな、というのを教えてくれるんです、島で撮ってると。
−撮ることで、故郷の島を見つめ直して……。
自分の生まれた島で撮ったことで、成長できた。「俳優風情が映画も撮ってる」なんてことは、それ以降言われなくなったし。
映画監督としてのステップになって、腰が据わった瞬間だった。
それを与えてくれた大地、どん!と背中を押してくれたのは、かつて憎らしくもあった五島だったんです。映画を撮ったことで、島を肯定でき、好きになれました。
−島に対する気持ちにも、変化があったんですね福江島で暮らしながら仕事がしたいという思いも芽生えてきました。
ちょっと深呼吸がしたいなと思ったら「いつでも帰ってきんしゃい」みたいな感じかな、僕にとっては。
恥ずかしがらずにね。
引用元:ritokei
−自分から島に距離を置いていた時期もあったけれど、今はほっとできる場所になったんですね。
榊監督はいつのまにか…
故郷である五島がホッとできる場所になっていたそうです。
榊監督の生い立ちが気持ち悪いというウワサについて…
あまり意味はわかりませんでしたが、五島の人間関係についての表現の仕方がゲスいことから…
このようなウワサになったのかもしれません。
榊英雄が映画監督になった理由が不純?
榊監督はもともと俳優として活動されていたのですが、その当時は全く売れず…
ある方の一言で、
「映画を撮ってみよう!」
と、火がついたらしいんです。
ですが、
映画監督になった理由が不純というのは、一体どういう意味なんでしょうか…
色々と調べていたら、
映画監督になったきっかけについて話されている記事を見つけたので、引用させていただきます。
俳優の仕事がなくて、暇でしょうがなくて腐っていた時に、女優の片岡礼子さんに
「女々しい……。そんな時に脚本書いて自分で撮れば、自分で主役できるじゃないの。それぐらい動いてやんなよ、あんた」
って言われて、すごく悔しくて。
五島でいうと「おなごに言われよる、悔しい」と。
それで自主映画を撮り、映画祭に出したものの優勝できず6位で落胆していたら、同じ映画祭でグランプリを獲った北村龍平氏から出演の誘いがきた。「いや、もう僕自信ないです。田舎帰ります」って断ったら
「僕は榊君のデビュー作観てるよ。僕なら、あなたをもっと良く撮れる。やってみてダメなら帰ればいいじゃん。一度試してみない?協力してよ」と言われて。
それならと思って、彼の映画に俳優として参加したんですよ。
そしたらその作品が海外の映画祭でドカンドカンうけて。日本でも公開が決まり、業界関係者からも認知され、俳優として食えるようになったんです。
監督としても、2006年頃から長編のデビュー作を撮ることができ、お陰様で、映画を撮ることもできつつ俳優業もできています。
引用元:ritokei
映画監督になられたきっかけは、
女優の片桐礼子さんに喝を入れられて悔しかったとのことで、
女性である片桐さんに言われたことから、ヤル気が出たようですね!
別に全く不純な理由とは思いませんが、そんな理由から始めた映画監督業が大成功し、
今では、超有名な映画監督になられた榊監督ですが…
ご家族をとても大切にされているそうです!
若い頃は、故郷の大切さに気付かなかった榊監督ですが、
娘さん達も島が大好きで、毎年ご家族で実家に帰られているんだとか!
夫、父親として、愛するご家族のため…
家族サービスを頑張られているみたいですね!
まとめ
榊監督の生い立ちや映画監督になった理由について、リサーチさせていただきましたが、
生い立ちについては全く気持ち悪くもなかったですし、
映画監督になった理由も不純ではありませんでした。
ウワサというのは、ほんと当てにならないので…
そんな訳の分からないウワサに振り回されないようにしたいものですね。
今後も映画監督としてはもちろん、俳優としてもご活躍やされる榊監督を追い続けたいと思います。
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